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現在、当サイトの史料館に掲載している俳諧・獅子門(美濃派)第三世:仙石廬元坊(里紅)の故郷を、2005年8月中旬に仕事を兼ねて訪ねました。岐阜県本巣郡北方町、ここは富有柿の産地でも知られている場所です。 滞在時間が少なく現在取材途中の段階にあり掲載内容はほんの僅かではございますが、廬元坊にちなんだ場所をご紹介致します。また、美濃派の始祖:各務支考編による江戸期の板本も合せてご覧頂けます。 なお、今回の訪問に際し、北方町文化財保護協会副会長をつとめておられます龍祥寺さん(藤 ご住職夫妻)には、お忙しい中をご案内頂き大変お世話になりましたことを付記し、心よりお礼を申し上げます。 |
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仙石 廬元坊 せんごくろげんぼう。美濃国北方(現:岐阜県本巣郡北方町)の俳人。 師:支考の俳諧を受け継ぎ、美濃派(獅子門)の基礎を築いた。1747(延享4)年5月10日、57歳没。獅子門道統第三世。通称=与兵衛。別号=里紅・獅子庵二世・茶話窟など。 編著書に『文星観』『桃の首途』『藤の首途』『渭江話』『花供養』などがある。 |
廬元坊の著書『桃の首途』
享保12年、越前・加賀・小松をはじめとした北陸地方を行脚して編んだ著作。 写真は上巻。史料館にも掲載。 |
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美濃派俳諧 芭蕉没後、各務支考が築いた流派で、俳諧を大衆化・地方化して勢力をのばした。伊勢の乙由らと共に「支麦の徒」「田舎蕉門」と軽視はされたが、現在も継承されている。獅子門ともいう。支考→廬元坊→五竹坊と道統されたが、五竹坊の後、再和派・以哉派に分裂した(再和派は後に、以哉派との合併問題がもつれ二派に)。現在、再和派・以哉派は再び統合され引き継がれている。 廬元坊の故郷=北方町では再和派が主流をなし、水上道場(俳諧道場)跡地に再和派歴代宗匠の碑が建ち、県の史蹟として保護されている。 ちなみに各務支考の故郷=岐阜市山県北野:大智寺さんの境内には、獅子庵とともに以哉派歴代宗匠の碑が建てられており、こちらも県の史蹟として大切に保護されている。 〔一部史料館に重複します。〕 |
水上道場
西運寺境内 |
![]() 廬元坊の墓(龍祥寺さん境内) 〜北方町指定史蹟〜 |
![]() 龍祥寺(りょうしょうじ)さん 〜臨済宗妙心寺派〜 |
![]() 廬元坊自筆の句入り文 (史料館に詳細) |
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五竹坊居宅跡 廬元坊の後を受け、美濃派俳諧・獅子門第四世を道統した五竹坊の居宅跡。〜北方町指定史蹟〜 五竹坊も美濃国北方の人で、医業をなし田中東伯と称す。1779(安永8)年没、81歳。別号=五筑坊・琴左・帰童仙、編著書には『梅雨しめり』『十二夜話』などがある。 |
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冒頭にも記しましたが、ただ今ご覧頂いておりますページは取材途中の段階ですので、今後取材を重ね追記をさせて頂きますのでどうぞ宜しくお願い申し上げます。 2005.9.30 ●バックの画像は廬元坊編『桃の首途』板本です。 2006.2.8 |
![]() 各務支考『新撰大和詞』(本文) |
![]() 各務支考『新撰大和詞』(上下全2巻) |
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